事業内容

ぽっぷサロンに参加しているメンバーの高次脳機能障害体験談

【Kさんの場合】

ぽっぷサロン代表のKです。

以前私は、建築塗装の職人でした。2005年6月11年前に、仕事中屋根より頭から転落して、武蔵野赤十字病院運ばれました。主治医の先生は、元院長でした富田俊樹先生に命を助けて頂きましたが、高次脳機能障がいになってしまいました。

日赤から所沢の国リハに転院、リハビリ入院後、退院して家に戻りました。しかし、残念ながら三鷹市には、高次脳機能障がい者の行き場が無いと言う現実が待っていました。これは、今現在も哀しいかな変化が無い現状です。最初の相談窓口は、三鷹市障がい者相談支援センター〈ぽっぷ〉でしたが、近隣の調布市にある高次脳の当事者家族会の調布ドリームに入会しました。そこで、グループリハの有効性「コミュニケーション」を取れるようになったことにより、次のステップとして、小平市の東京都障がい者職業能力開発校を経て、就職することが出来ました。

今現在は、西新宿にあります東京医科大学病院の総務課で勤めさせて頂いて、9年目になります。これは、全て私の高次脳機能障がいに関わって頂いた医療関係者の方々及び、支援をして頂いた皆様のおかげの何物でもないと、私は思い感謝しています。

決して、高次脳機能障がいと言うこの障がいを憎んではいませんし、障がいが繋いでくれた多くの友人、「縁」は、逆に私にとっては財産・宝物になったと思っています。

【TASKEさんの場合】

初めまして。

此処数年、NHK Eテレ「バリバラ」へ偶に出演させて頂いてる、ぽっぷサロンの発起人であり元代表のTASKEです。

僕が高次脳機能障害を患ったのは10歳秋に遭った交通事故が原因で、当時診断された後遺症は頭部外傷、左動眼麻痺、難聴、右手麻痺(右片麻痺)のみで、高次脳機能障害はまだ病名すらもなく退院後も新しい事が覚えられぬ手探り、試行錯誤の中、中卒まで普通学級、以後、漫画の専門学校を経て、大検(現・高卒認定)を十数年掛けて全科目クリアするなど時を越えて、交通事故から4半世紀余り、25年4ヶ月にして初めて高次脳機能障害と診断を受けました。

今、改めて思うと高次脳と診断されてなかった時期はまるで戦争を知らない子供のような心境だったのだと。

何の解決策も見当たらない、原因がわからないなど、もし近くにいる誰かが高次脳の疑いがあったら教えてあげたい、目に見えない障害だから、そんな願いがこの「ぽっぷサロン」を立ち上げる切っ掛けとなりました。

残念な事に、まだ三鷹市には高次脳機能障害当事者家族の為の窓口がなかったので、ならば僕らだけでもこの脳の病気を広めて行ければと考えました。 今後も、三鷹市民だけでなく都内をはじめ様々な地域の当事者家族の皆様と情報交換などを通じて幅広く展開して行きますので、どうぞ宜しくお願いします。



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